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赤い公園 インタビュー

石野理子 (Vo) 津野米咲(Gt) 藤本ひかり(Ba) 歌川菜穂(Dr)

──まずは、これまでのバンドの流れのおさらいをしながら話をうかがっていこうと思いますが、前ヴォーカルが脱退となって、3人は赤い公園をどう進めていこうと考えていましたか。

津野:前のヴォーカルが辞めるという話がはじまってから、実際に辞めることが決まって、辞めるまでの流れがかなり早かったんです。なので当時は、最後に1回、前体制で東京でのライブをやるということだけを意識的に考えていた感じがありました。バンドは続けると言ったものの、どうしようね…というふわっとした感じでしたね。

──そのふわっとした時期ってどのくらいあったんですか。

津野:一昨年の夏に前体制が終わって…。

歌川:そこから考えて、動き出したから、年内くらいまでかな?

津野:年が明けて1月4日に、3人で20曲をやるライブをするぞっていうのは早めに決めていたんです。ただその練習の最中には、これはヴォーカルを入れたほうがいいねってなっていて。

歌川:多分、年末だった気がします。年末にそういう話になったんですよね。限界というか、キャパオーバーを感じて。

──ヴォーカルを入れたほうがいねっていうのは、それまで3人でどうやってやろうとしていたんですか。

津野:3人で新しく曲を作って、楽器を持ち回りしながらそれぞれで歌ったりしていたんです。これまでそういうことはやったことがなかったので、むしろ自分の可能性を信じすぎていた部分はあって。

歌川:ある意味、無敵状態だったよね。

津野:思っているのとはちがう方向だったけど、なんとか形にはなって。でも、平たくいうと渋い感じになってきちゃって。渋いものをやりたくてバンドをはじめたわけじゃないねっていうことを思い出したんですよね、スタジオの屋上で空を見ながら。ヴォーカルを探すのは途方もない作業だと思っていたんですけど、探そうと。そう決めた日の空はすごくキレイでしたね。

──心も晴れましたかね(笑)。

津野:急に晴れた感じでした。

──ということでは、3人での活動は試行錯誤で、どこか靄がかかったような感じではあったんですね。

津野:不安は、ありました。

歌川:本来の自分の楽器をのびのびと弾けないっていうフラストレーションもあったりとか。

──そこからヴォーカルを探しますとなっても、単なるヴォーカリストではなくてバンドの顔になるような人でもあるから、どういう人にするかっていうのはすごく難しいものじゃないですか。

津野:具体的な募集要項みたいなものは話の中でそんなに出てこなかったけど、普段3人とも聴いている音楽が全然ちがうのに、“この人いいね”っていうのは近くて。歌い手のたまごさんたちがいっぱい載せているサイトとか、Twitterで“#歌手志望”というのも調べつつ。私たち自身はこれまで事務所やレーベルをわりと転々としてきたので、力になってくれる方も多かったんです。それで、いろいろ紹介を受けたりもしましたね。それは、男子も含めて。もう何ができるのかもわからなかったから。

──では、曲作りをしていこうというよりも、まずヴォーカルを決めてから動き出そうというところだったんですか。

津野:そんな簡単に決まるものではないなと思っていたので、その間の期間のためにも3人でできることの質はもうちょっと上げないといけないなというのもありました。

歌川:でも確か、去年のVIVA LA ROCK2018への出演が決まっていたんです。まだ私たちがそういう状態だったんですけど、決めてくださって、VIVA LA ROCKの方が。なので、そこをふんわりとは目標にしてたよね。

津野:そうか、あれって3人だったのに決まってたんだ。

──赤い公園への期待があったんですね。

歌川:期待してくれていました。せっかくだから、そこまでを目安にというのはあって、確か出演の1ヶ月前にヴォーカルが決まったんです。

──それで大きなフェスのステージに立ってしまうというのもすごいことですよね。石野さんが決め手となったのは、何が大きかったんですか。

津野:言葉にするのはすごく難しいんですけど、理子以外は本当にピンとこなかったし、3人で別々のタイミングで別々の場所で理子の声を聴いたんですけど。3人とも~正直いろいろと探すことにちょっと疲れていて、そこにすっと入ってきた感じだったんですよね。

歌川:救いの手っていう感じで。

──声が持ってる“何か”があった。

津野:そうですね。赤い公園の曲を2曲歌ったものを送ってくれたんですけど、声を聴いたらもっといっぱい曲が書けるような気がしました。

──実際に会ってみてどんな印象でしたか。

藤本:そもそも会う前に、もう入ることは決まったんだよね。

歌川:そうだった。

──それ、すごい流れじゃないですか。

藤本:そうなんですよね。

津野:ちょっとだけ悪徳商法してるような気持ちになったよね(笑)。これ大丈夫かなって。

歌川:3人でお手紙を書いたりしたんです。

津野:その大丈夫かなっていうのは、理子がまだ若いのもあるし、それまでアイドルをやっていて、そのグループが終わってこれから進路を決めていくという子に出会うこともなかなかないし、勝手に不安に思っていたんです。私たち騙してる感じになっていたらどうしようって。でも実際に会ってみたら、自分で考えて行動する人だっていうのがわかったので、ちょっと安心した。

──手紙も書いたんですね。

歌川:3人それぞれで。

津野:だからふたりが何を書いたのかは、理子しか知らないんです。

──石野さんはそもそもバンドに加入して活動するっていうのは、自分の選択肢にあったことだったんですか。

石野:歌は歌いたいなと思っていたんですけど、バンドがいちばん、自分の中ではありえないと思っていました。選択肢としてはないものだと思っていたので。それは自分でもびっくりしています、今でもですけど。

──声がかかったときはどう思いましたか。

石野:意味がわからなかったです。正直、赤い公園のヴォーカルが抜けたことも知らなかったので。それでどういうなりゆきで私に回ってきたのかも、わからなかったし。

津野:まさに悪徳商法だ(笑)。

石野:でもとにかく歌える場所がほしくて。高校2年生の時に、ちょうど前にやっていたグループが解散して。受験もあるしどうしようかなと、いろいろ考えている時に話がきたんです。今このチャンスを掴まなかったら、次はもうないかもしれないとか。自分でできることは、これからきっとどんどん狭まってくるだろうなと思って、話を受けました。

津野:よかった。

──実際に“バンド”に加入してどうですか。

石野:めちゃくちゃ楽しいです。

歌川:本当によかった。

石野:楽しいし、ただ年の差はあるので最初はそれも正直不安だったんです。でも、驚くほどそういうジェネレーションギャップみたいなものは感じなかったし。結構、人に馴染むのに不安があるタイプで、その場の雰囲気にすぐに溶け込めないんですけど。でも3人の人柄がとてもいい人たちなので。

津野:そこは太字でお願いします。

石野:すぐに馴染めたというか、違和感がまったくなかったんです。

津野:でも、それは私たちもすごくわかるところでね。

歌川:めちゃくちゃわかる。よく考えたら不思議だなって思います、違和感がないのが。疑うことがないくらい、すっと馴染んでいたんですよね。

──そこから新たな4人の赤い公園として曲を生み出していこうというモードに。

津野:そうですね。作り溜めていた分もあるけど、でもできるだけ新しく作ろうっていうか、できちゃうんです。

──それくらい刺激されるものがあった。

津野:そうですね。あとは自分では自分の年齢のこともあまり考えないし、例えばツアーだったら2日目でも3日目でもその日しか来ない人がいるから、ずっと初日でずっとファイナルでというのがあるんですけど、それはツアー以外の音楽活動にも置き換えられると思うんです。ずっと、これが初めましてで、これが最後だって思うようにしてたんですけど、でもふと自分のことを客観的に見るようなフリをして可能性を狭めちゃったり、トライするのをやめちゃったりする瞬間があったんだなっていうのに、気づいたんですよね。理子がいちばんありえないと思っていたバンドに入ってきて、知らないことをしようとしているのを近くで見ているから、挑戦したい気持ちをすごくいいタイミングで思い出させてもらった感じはあります。

──ある種でき上がっていた赤い公園みたいなものを壊せるチャンスでもありますしね。でも、それくらい曲が湧き上がってくる感覚があったんですね。

津野:今までだったら全然書かなかったような、というか思いつかなかったものが出てくるし。それも曲だけじゃなくて、演奏もそうだと思うんです。これはちょっと……って事前にやめたりするようなことは、あまりしなくなってきたかもしれない。

──石野さんの声の印象としてはどうでしたか。

津野:声は、どんな曲でもいける声ですよね。ラップでも。

──(笑)。はい、今回の『消えない - EP』の曲にも入っていますね。

津野:歌詞もめちゃくちゃ書きがいがあるんです。すごく聞こえてくるんですよね、歌詞が。最初に理子が歌っている過去の曲を聴いた時にも、明朝体で歌詞が聞こえる感じがあったというか、それはみんなで話していたよね。

歌川:うん。

津野:日本語で歌詞を書いている作曲家の人は、これは羨ましいんじゃないかなって思うんです。

──特有の透明感があって、でもムードも出せて、さらに言葉がスコーンと届いてくるような声ですよね。赤い公園の曲としてもマッチする声だなと思いますね。

津野:そうですね。難しく聞こえないんです。ちゃんと歌として聞こえるから、それもできることが多いなって思えたひとつなんですね。まだやってないもので、やりたいものがいっぱいある。

──今回の『消えない - EP』の中で最初に合わせたのは、どの曲だったんですか。

津野:当て書きをしたのは「消えない」が最初かな。「Highway Cabriolet」は結構前からあったものを、アレンジを変えたものですね。元々はギターとかが入ってなかったものを、バンド編成のものにアレンジし直しました。

歌川:同期とかでやってたからね、最初は。

──それで「Highway Cabriolet」は都会的なオシャレ感が残ってるんですね。

歌川:もっとオシャレ感があったんですよ。

津野:m-floだったよね。もうちょっとm-floだったけど、透明感が出たかもしれない、アレンジも歌も。

──「消えない」は、今の体制ならではの曲という感じですかね。

津野:唯一の正解って見えました、私には。今はこれでしょって、あまり悩まずに作れましたね。

──この曲の歌詞は、いろんな思いが読み解けそうな内容ですよね。こうして新体制で活動できるまでの3人の心境や決意が見えます。

津野:理子のこれまでの流れも含めてですよね。でも、そこは意外とそんなに考え込んで作ったわけではないんです。音が先に出てきた感じでした。

──サウンド的にはかなりディスコティックなグルーヴが強い曲で、これは意外性がありますね。

津野:これは普通に書いたけど、よく考えたら私たちがやったことがなかったような音楽だったんですよね。

歌川:1発目の曲を何にするかってなっている時で、これもいいねあれもいいね、うーんってなっている時に、パッと出てきた曲で。これだっていう感じがあって。説得力があったというか、圧倒的な力は感じましたね。

津野:スタッフもすごく粘って待ってくれた曲で。もう1曲、ライブでやっていて音源になっていないダンサブルな曲があって。これいいねとは言っていたんですけど、なんかもうちょっとないかもうちょっとないかっていうのは、すごく言われていたんです。ありまーすと思って作った曲でしたね。

──赤い公園ではあるんだけど、グルーヴにのってすごく新鮮な歌が飛び込んでくる。

津野:これをMVで出した時、自分の見える範囲ではあるんですけど、反応がわりと良かったんです。それも良かった。いろんな技法を、わかりやすく伝えやすいようにとバリアフリーにしなくても、何か伝えたい思いがちゃんと強くあったら伝わるんだって思って。何年もやっていますけど、それはわりと初めての感覚だったかもしれないです。

藤本:この曲がきた時は、これだってなった。理子の声を初めて聴いた時も、理由や理屈じゃないというか。ただただ心の深いところでこれだよって呼ばれた感じがあって。そういうことが、ここ数年多いなって思いましたね。

──石野さんは、この「消えない」という曲がきた時、どう表現しようって思いましたか。

石野:こういう感じの曲を歌うのは、初めてだったし。私のヴォーカル力も試される、挑戦的な曲だと思ったので。完成したものを聴いたときも、自分が聴いたことがない声を聴いたような感じで、自分も新鮮でした。

──レコーディングの時は、ヴォーカルのディレクションはあったんですか。

津野:そんなになかったです。アイドルの時にどういうレコーディングをしていたのかわからないんですけど、スンッと来て、スンッと歌って、スンッて帰るみたいな感じで。

歌川:めっちゃ早かったね。

津野:エンジニアさんは以前からやってくださっている方なんですけど、エンジニアさんがまずびっくりしてましたね。マイクのバランスチェックとかの段階で、わりともう表現としては決まっていたので。

──曲の掴みが早いんですね。

津野:その水準ではじめられたら、どう○とか△をつけていいのかも全然わからなくて。結構びっくりしました。この時は、理子は広島から出てきてレコーディングしてという感じだったんですけど、とりあえず早く終わって。遊んだのってこの時だっけ?

藤本:そう。

歌川:みんなでカラオケ行ったよね。

──すごいスムーズなレコーディング(笑)。

津野:秒で終わりましたね。

歌川:もう何テイク目とかも、選べないっていうくらいで。

津野:何が○かって、とにかく歌うという姿勢がはなまるでしたね。

石野:はい、ガムシャラでした。

津野:ガムシャラさは出てたね。ガッツがあった。それは自分たちの楽器を練習していてもお互いに求めるものにも近い感じで。むしろそれだけ持って来たみたいな感じでしたね、理子は。

藤本:うん、魂が近い感じがしたね。

──石野さんはアイドル時代はいろんなカバー曲を歌ったり、オリジナルの曲も歌ってきて、それぞれアプローチはちがうこともあったと思うんです。今度はこの赤い公園の声として歌うわけで、どういうふうに曲を理解して、自分のものにしようと思っていましたか。

石野:じつは、自分の声に慣れようとするところからはじまっていたんです。アイドル時代にカバーをやっていた時は、真似をするお手本がいたという感じもあったんですけど。今は自分からどんどん、“自分の声”を作っていかないといけないというのがすごく難しくて。自分の中でしっくりくる歌い方とか、声の出し方とか、なんとなくこれかなっていうのを考えながら歌った部分はありました。

──歌詞を読み込んで、伝え方なども自分で試行錯誤した感じですか。

石野:これまでも、いろんな歌詞の世界を推測しながら読みながら歌ってきていたので、そこの解釈は自分なりに、あとは米咲さんに聞いたりしながらですね。私が歌う解釈と演奏するときの解釈がちがいすぎるのもいけないので。一致させることも、考えながら歌いました。

──先ほども出ましたがMVを見た時に結構驚きで。画面が、石野さんと、バンド3人と2面に分かれていて、最後まで交わらないっていう。

津野:交わらないんですよ、東京と広島での別撮りだったので。

──途中で出会うシーンがあるのかと思いきや、最後までそのままでしたね。

津野:会わず終いで、星が飛んで服が飛んで、でも本人たちは会わず終いでしたね。

歌川:寂しかったよね、撮影は。

津野:理子の撮影してるところをマネージャーが動画を撮っていて見せてくれるんですけど、私たちの撮影はキュッとした部屋で、本当に撮影エリアは4畳半くらいだったんです。だから、理子は外の撮影でいいなあと思って。開放感がめっちゃあって。監督の声とかも入っていたんですけど、監督も開放感があるからか心なしかうちらの時よりもちょっと声が大きくて。

藤本:海だしね。

──面白いMVになってました。またさらにびっくりしたのは、「凜々爛々」でのポップ性。ちゃんとこれまでの赤い公園的なフォーマットも感じるんですけど、こんなにも新しい風が吹くんだという感触があって、このヴォーカルが曲を加速させているなという曲です。

津野:そうですね。これはレコーディングが楽しかった。

──ここでひとつのバンドの強みができたっていうか。もうあとは、なんでもいけるんじゃないかって思わせた曲でしたね。

津野:よかった。こういうストレートロックって、意外とバンドの今までの曲の中ではストレートだけどストレートではないっていうか。むしろ自分たちの軸みたいなものがなんだったかわからないけど、もっとちょっとちがう味っていうか。

──これまではいろんなものが入った複雑さを紐解く面白さはあったと思います。でも今回はその複雑さを、シンプルなものとして抽出できたというか。

津野:シンプル、面白いっていう気持ちで作っていったかもしれないですね。これは他の曲もありきで、輝いてくれるんじゃないかなと期待はしていました。

──他の曲についてもお聞きしていこうと思いますが、先ほど話に出た「Highway Cabriolet」は、もともと打ち込みっぽい曲だったということですね。

津野:全然印象がちがったよね。ギターがないし、ドラムももうちょっと打ち込みっぽかったかな。

歌川:打ち込みに寄せていて。キラキラしたウワモノがわーっと鳴っていて。米咲は元々の曲の時って何してたんだっけ?

津野:私、ドラム叩いてた。

歌川:そうだった(笑)。で、私が歌ってたんだ。サウンドもギターにしただけで変わったし、あとは理子が歌うことですごく印象が変わって。大人な曲になった印象でした。

津野:この曲は、理子に歌ってほしかったんです。歌ってほしいんだけど、バンドに入ってきて、そのm-floちっくな音っていうのは自分たちがこれから近々でやっていこうと思っているサウンドとはまたちょっとちがったので。いずれもっと勉強して精度を上げてやっていけたらいいなとは思っているんですけど。だけど、曲が持っているものはすごく合いそうというか、理子が歌うのを聴いてみたいけど、音はこれじゃないなっていうもどかしい位置にあった曲だったんです。それで、3人で集まって、どうしたらいい?って、とりあえずコードだけさらって、同期はなしで、ギターで弾いてみようかって言ってやってみたら、あのアレンジになって。一発目から、あれ?これ気持ちよくない?って。これ理子じゃん、超理子だって言って。

歌川:そこから同期を消す勇気が出たよね。ビビっていただけで、やればできるんだって。

──そうだったんですね。

津野:そういうしっかりと立ち止まってアレンジを見直すことも、これまであまりなかったので。すごく楽しかったんですよね。

藤本:意外とあって当たり前だったものって、なくても大丈夫だったんだと思いました。

──そういう概念を壊すっていうのは、曲作りではすごく大事かもしれないですね。

津野:3人とももちろんのこと、前よりアレンジするのが好きになって。案の定、理子が歌ってみたら自分たちの想像していたアレンジが正解だったわってなって。すごくいい曲になったなと思ってます。

──石野さんはこういうノリの曲って、歌ったことはあったんですか。

石野:歌ったことはなかったんですけど、普段聴くような曲が近い感じなんです。歌ったことはないので、私としては挑戦的ではあったんですけど。でも歌いながらも、私自身心地よかったです。

──普段、石野さんはどういう音楽を聴いているんですか。

石野:耳障りのいい、心地いい音楽を聴いてます。

津野:ちょっとヒップホップ寄りだったりするよね。

石野:はい、ラップも聴きます。

津野:いろんな言語のラップを聴いてるんですよ。ラップで世界一周してるような。

──そういう石野さんの好きな、持っていそうなエッセンスも生かそうっていうのが出てきますね。

津野:そうですよね。でも歌にも結構出てきていると思いますね。

──「Yo-Ho」などもまさにそういったグルーヴ感やノリがないと歌えない曲ですしね。

津野:ノリの種類みたいなものは、私たちがバンドで学んできた種類を知っているけど、普段聴いている音楽とかカバーで歌ってきた音楽とか、そういう別の種類のノリを理子はいくつも知っているので。すり合わせをする作業がすごく早いんです。これはちょっとノリがちがうなって言っても、すぐに他の引き出しを開けてくれるので。

歌川:すごく察しがいいよね。

──この「Yo-Ho」もまた、今までにない曲ですがどんなふうに作られていったんですか。

津野:これはメンバー満場一致で入れたかった曲ですね。

歌川:生楽器じゃないということに関しても、全然これでいいってなって。絶対このままがいいっていう。これも初の試みだったよね。

津野:これはこの世で理子が歌うのが絶対にいちばんいい曲って思います。

──ヒップホップ聴いてるという話を聞いて、このスムースな気持ちよさが腑に落ちました。

津野:ただ私がヒップホップの曲を作ったことがないので、そこはあまり気にせずに作ったらこうなったという感じで。さっき話した、「Highway Cabriolet」は結果アレンジを変えてよかったんですけど。あの曲とはまたちがった、生じゃない楽器で今できることが、もしかしたらこういうことかなっていうのがひとつの形にはなったかなと思います。

──このメロディや譜割り的なところは自由に歌ってもらった感じですか。

津野:そうです、勝手に歌って勝手にOKになって帰りましたね、この曲も。すごくいい感じで。メロディは一応あるんですけど、一ヶ所ビートがないところもあるので、これはお任せして歌ってもらってます。

石野:森の中で少女がひとりで歌ってる感じで、すごくピュアな感じになるようにとは、イメージして歌いました。

歌川:すごい出てるよね、その感じ。

津野:めっちゃ盛り上がってたもんね、この時はブースの外も。超いいんだけど!って。

歌川:売れたわーって。これ、売れちゃうなあって。

津野:リード曲じゃないんですけどね。すごいかっこいい感じで、自分もこんな仕上がりになるとは思わなかったです。

──ひとり新しい音、人が加わるだけでこれだけ発想が広がるのかという曲のひとつですね。

津野:ライブアレンジのことを考えると、ちょっとだけ胃が痛いんですけどね。でもきっと、大丈夫。

──そしてもう1曲、「HEISEI」はどうですか。

津野:もう令和になっちゃったんですけどね。これも、ざっくりというと「消えない」みたいな気持ちで書いている曲です。これは、やりたいバンドサウンドというか、赤い公園の話し方のクセみたいなものがすごく出ている気がするんです。意図したわけではないんですけど、一発目の音がはじまったところから、話グセをまったく無視するのではなく、それがバンドの軸というものなのかもしれないですけど、その軸が成長した感じがありますね。それは歌詞にもある、過去を切り離すのではなく託すっていうものに出ていて。音と歌詞が、マッチしているなと自分では思います。これは本チャンのレコーディングの前に、プリプロでレコーディングをしていて。理子はその時まだ広島にいて。東京に来て1日で何曲もデモ録りをする、という日があったんですけど。その時から、声が持ってるピュアさみたいなものと、すごくいい化学変化が起きてるなと思っていました。この曲は新体制後最初のツアーで1曲目にやっていて、ツアーを経てからもう一回レコーディングをしたらかなり歌が仕上がって。いちばんいいタイミングでパッケージできた曲だなと思います。なので、ツアーのことを思い出しますね、聴くと。

歌川:ツアーの1曲目を託せる曲でしたね。

津野:ツアーは、ギリギリ平成だったんです。やっぱり平成が終わるのさみしかったから、みんなも終わるのさみしいだろうなって思って、吹き飛ばせるイメージで書いたんですけど。令和になって。この曲はお蔵入りかなと思ってたら、出させてもらえました、よかった。

──石野さんはライヴの中で曲が育ったことを、体感できた感じですか。

石野:それはありました。何回も歌っていくうちに、自分の曲だなって実感するようになるし。自分に馴染んでくるのもありました。

──ツアーになると本数も多いのでより、ひとつひとつのライヴでの変化を感じると思います。実際ライブごとにバンドが変わっていく感覚は味わえましたか。

津野:感じますし、でも意外とライブでやっていた曲をレコーディングした時に、ああ、ツアーを経たなっていうのは感じますね。

藤本:ツアー前から、ツアー中、ツアー後と、ずっとプリプロをしていたんですけど。主に理子は、全然ちがったよね。びっくりしたのは覚えてます。

津野:まず、物理的に声量がちがった。あとは、高い声の出し方の種類も増えているかな。いろいろあるんですけど、カッコよくなってます。

──だいぶ、ライブという現場で鍛えられているんですね。

石野:それは自分でも思います。知らない間に喉が変わっていくというか、声の出方がちがうなって。一週間前とちがうっていうのもあるくらいで。今でもそれはあるんです。

藤本:進化中です。

──本当に、いろんな曲ができそうです。このEPを聴いただけでもこの広がりがあるから、声の持つのびしろとしては最高じゃないですか。

津野:そうなんですよね。声もそうだし、表現力ですよね。今のままでもできることがまだまだたくさんあるし、一緒に成長していったらもっとあるっていうことだし。それは楽器にも、曲作りにも言えることで。当分、曲を作るのは困らないと思います。

──最高に嬉しい悩みですね(笑)。

津野:そうなんですよ。曲がいっぱいできちゃって。EPに何の曲を入れるかって、嬉しいことのはずじゃないですか。でもちょっとピリッとするんですよ、曲がありすぎて決まらなくて。

歌川:ピリッとしたよね、どうすんの?っていう感じで。

津野:選曲が大変なんです、ライブでも盤でも。

──これからの赤い公園、楽しみです。

歌川:そうですね。最初にVIVA LA ROCKでやった時に、まず久しぶりで初めましてのライブという緊張もあって、正直日和っていたんです。ドッキドキで。だけど理子が堂々と、「赤い公園です!」って言ってバーっと言っちゃうから、3人はおいおいおいって感じになって。

津野:待って待って待ってっていうね。

歌川:そこで、持っていかれるっていう感覚を経験して。負けてられない、やばいって思って。曲の捉え方というのも、すごく大きくなったりました。それは理子が大きく歌ってくれているから、リズムとかもこう……うまく言葉で説明するのは難しいんですけど、ドン!って大きくなるというか。それは、理子が入ってから感覚が変わりましたね。すごく気持ちがいい。

津野:うん、グルーヴみたいなものが大きくなった感じだよね。

歌川:自分も歌うように叩けるようになったかな。

津野:理子が加入して、音数が多かった同期を外して、今後絶対に私たちの楽器でしか鳴らさないということは言えないですけど。同期を外したことで、とくにドラムはずっとクリックが鳴っていたのもなくなって、歌も聞けるようになったと思うし。

歌川:うん、全然ちがいますね。

──ど真ん中のことをやっても、これだけの個性が出ているというのは大きいのでは。もっと自由にもなれるし、キャリアを築く中で知らないうちにあったいらない枠が、うまく取っ払えた。

津野:そうですね。個性に対して、見栄を張ったりということを各々あまりしなくなってきたかな。自由になりましたね。だから、腕をこう胸の前にして何かを守っていたのを、腕をとったら速く走れるし。でもその分、なにかが刺さって傷ついたりすることもきっとあるんでしょうけど。それは音楽にしていければいいだけの話だし、ひとりじゃないし、4人いるしね。

藤本:大丈夫、マキロン持ってるから。

津野:染みるねえ〜。お客さんは待たせてしまいましたけど、その分準備期間をいただいたので。ここから、スピーディにどんどん動いていきたいですね。