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小出祐介(Base Ball Bear)

「journey」

近年の赤い公園は、そのハミ出した感性や才能をコントロール出来るようになったんじゃないかと見ておりました。
ロックやポップスの型や文脈を味方につけ、聴き手がより受け取りやすい作品を作れるようになったんじゃないか、と。
料理に例えると、「何か分かる」おかずをきちんと作り、みんなが「おっ良い感じ」と思うお弁当箱に詰めてみるようになった、と。
味付けや盛り付けはもちろん個性的ですが、昔は「おんもしれえ」つって生焼けの肉野菜をあえてタッパーに詰めてくる感じの子たちだったので、成長してやがるぜ!と、先輩面しております。
(自分を含めたほとんどのバンドはまず、“「何か分かる」ものしか作れなくて”苦労するので、そもそも、彼女たちが逆サイドからやってきたバンドだということもお伝えしておきます。)

その一方で、バンドマンとしての佇まい、業のようなものまでが溢れ出てきたのが今作です。
佐藤さんが脱退されることで、誤解を畏れずにいえば、バンドに物語が降り注いで来たわけです。
僕自身も昨年、メンバーの脱退を経験しておりまして、米咲ちゃんにはライブで一度、サポートギターを務めていただきました。
その時に痛感したのは、目の前に降り注ぐ物語にぶつかってこそのバンド力であり、音楽力なのだということです。
音楽によって空いた穴を埋めるのも、傷を癒やすのも、問いを答えに導くのもまた、音楽でしかあり得ないのです。
赤い公園は、僕が知る限り、バンドっぽい物語に脊髄反射で距離を保つバンドだったはず。
そんな彼女たちが、がむしゃらにぶつかっていったからこそ、八月終わりの打ち上げ花火のようなこの作品が出来たのではないでしょうか。

特に『journey』から『勇敢なこども』へと向かうクライマックスは圧巻でした。
これまで覗き込み続けてきた=歌にし続けてきた、童心という名のビー玉に、夕日色をした郷愁だけではなく、力強い青色を見出したかのようです。
それは彼女たちの決意と受け取っても、きっと大袈裟ではないでしょう。
(『勇敢なこども』でその決意もまた、ゆらぎの中にあることが描かれるわけですが。)
旅を勝手にやめんじゃねぇぞ、こっちもやめねぇからな、というエールのぶつけ合いにも聞こえます。
おじさんからすりゃ、ほんとにどいつもこいつも青春のjourneyだわ、バカヤロウ。
これからの赤い公園にも、佐藤さんにも、幸あることを切に願っております。